かつて「保育園落ちた」私が考える待機児童問題の原因と解決策(1)

 私も保育園落ちた一人です。もう7年も前の話になりますが、希望した認可保育所全てに落ちました。その後、幸いにして、十数人待ちと言われていた認証保育所から声がかかって救われましたが。私は、かつて「保育園落ちた」当事者の一人として、待機児童問題の解消を心から願っていますし、保育や子育てへの支援をもっと充実すべきと考えています。しかし、「保育園落ちた」当事者であるにもかかわらず、いやむしろ当事者としていろいろ学んだからこそ、昨今の「保育園落ちた日本死ね」「保育園落ちたの私だ」運動には共感できない部分があります。それは、この運動が目指す「認可保育所を増やす」という方策では、待機児童問題は解消できないからです。なぜなら、待機児童は、「認可保育所が足りない」から起きているのではなく、「認可保育所がある」から起きている問題だからです。


 問題の原因を理解するために、まず、保育所にはどのようなものがあるか、東京の例で説明すると、概ね以下のようになります。
① 認可保育所(公立、民間):利用料は所得や年齢に応じ0円から7 万円程度。広い園庭があり、資格を持つ保育士が厳しい基準に従い配置され、安心して預けられる。他方、延長保育が短い、兄弟枠が保証されない、休暇中の保育不可等、融通が利かないところも多い。
② 認証保育所(民間):利用料はサービスの質や量に応じ5万円程度から10万円程度。一般に園庭はなく、保育士の配置は概ね認可と同じだが、保育士資格のないパートも混じる。他方、延長保育や兄弟枠、休暇中の保育等、融通が利くことが多い。
③ 認可外保育所(民間):利用料は様々だが、安心できる所に同じ時間預けるなら認証より更に高い。一般に園庭はなく、保育士の配置等についてのチェックもないため、保育事故の発生率は認可保育所と比べ桁違いに高い。

 

 こう並べて見て何か変だと思わないでしょうか。普通、世の中では、物でもサービスでも、質が良いものは、原価も高く、値段も高くなります。しかし、保育の世界では、質が良く、原価が最も高いものが、最も値段が安いのです。これは、認可保育所には(それよりは少ないですが認証にも)、多額の補助金が税金から投入されているからなのですが、この制度と補助金によって作られた質と価格の歪んだ関係が、待機児童「問題」の最大の原因だと言えます。

 

 保育所を利用したいと思っている人にも、(1)世帯所得が低く、保育所に預けて働くことが必須で、安全面で同じなら料金が安ければ安いほどよい、(2)子供は外で遊ぶべきいう教育方針で、園庭が是非とも必要と考える、(3)夫婦とも正社員で世帯所得はそこそこ高く、時々遅くまで預かってくれるなど融通が利く方がよい、(4)世帯所得はそこそこ高く、どうしても働きたいわけではないが、安く子供を預けられるなら働いてみたい、など様々な状況や考えの人がいます。

 

 普通の世界では、こういった異なる所得水準や趣向を持った人には、異なった商品・サービスが提供され、同じ商品・サービスを巡って競い合うことはありません。しかし、質が高いものほど値段が安いという歪な構造になっている保育の世界では、(1)から(4)までの人みんなが「認可保育所」に殺到してしまいます。本来なら(3)の人は、融通の利く認証の方が適しているのですが、価格差がそのメリットを上回るため、やはり認可を希望してしまいます。結局、みんなが同じように、住む場所から近い(あるいは通いやすい)認可保育所から順に希望していき、必ずしも公平とは言えない点数システムと自治体の不透明な匙加減によって、認可保育所に入れる人や、どの保育所に入れるかが決まります。希望が通らなかった人は、無認可や認証、あるいは遠くて不便な認可に入れたとしても、希望が通った人との大きな落差を感じ、「保育園落ちた」被害者として不満を募らせます。待機児童「問題」の少なくとも一部は、全く預ける所がないという「不足」ではなく、運よく希望が通った人に比べ不当に不利な所に預けざるを得ないという「不公平」の問題なのです。

 

 もちろん「不足」の問題もあります。普通、ある商品やサービスの需要が供給を上回っていれば、価格が上がって、供給が増える一方、需要は減り、遅くとも数年のうちには供給不足は解消します。しかし、認可保育所の料金は、需要と供給の関係では決まらず、地方自治体がコストに比して遥かに低い水準で設定し、その差額を財政で負担しています。例えば、都心で0歳児の保育にかかるコストは月40万円程度だそうですが、保育料は平均で3-4万円に過ぎず、35万円以上が財政負担、つまり税金なのです。このため、認可保育所の増設は自治体の財政負担に直結しますが、大きな財源は簡単には出てこないので、認可保育所は徐々にしか増やせません。民間が供給する無認可や認証は、本来、より柔軟に供給を調整できるはずですが、認可がダメだった場合にしか選ばれない(認可に入れるようになると逃げられる)不安定な存在のため投資しにくくなっています。民間の認可もありますが、一部の自治体では、上乗せ規制や不透明な裁量によって株式会社やNGOの参入が阻害されています。また、価格を上げられないから、保育所の収入も増やせず、働く人の給料を上げられないので、そんな給料では働けないということになって、人手不足が慢性化し、供給を制約します。他方、需要の方を考えると、価格が上がらないので需要は減りません。さらに悪いことに、自治体が力を入れて供給を増やすほど、むしろ、上記(4)のような人の申請が増えて、需要が増えてしまいます。したがって、今の制度を前提とする限り、どれだけ受入れ態勢を拡大しても、待機児童はなくならないどころか、ほとんど減りません。論より証拠で、平成20~27年の7年間で、保育所定員は212万人から253万人へと40万人以上増えたのに、4月時点の待機児童数は2万人から2万5千人の間を行ったり来たりで、全く減る傾向にありません。価格による需給調整メカニズムが働かないから、いつまでたっても供給不足、需要超過のままなのです。

 

 もう一つ悪いことに、認可保育所は、年度開始直前の2月まで受入れの結論を出しません。認可に落ちることを心配する親は、認可に申請を出しつつ、認証や無認可にも申し込みます。みんながいくつも申し込むので、どの認証にも長いウェイト・リストができます。するともっとたくさん申し込むようになって、リストは更に長くなる悪循環で、今では100人以上がざらだそうです。最初から認証に預けたいと思っても、この長いウェイト・リストに並ばされます。こうして、都心部で保育所に子供を預けたい親のほとんどが、認可保育所の受入れ決定日を非常に「不安」な気持ちで待つことになるわけです。このため、幸いにして認可や認証に子供を入れられた多数の幸運な人々さえも、自分はこの問題の被害者だと思ってしまい、税金から多額の補助をもらっている「既得権益者」であり、複数の予約を掛け持ちして(認証に預けた上で認可に申し込むことも含みます)他者の利用を妨げたという意味で「加害者」であることには思いもよりません。待機児童問題の深刻さの原因の一部は、認可の受入れ決定日までの「不安」が、過剰な防衛行動を引き起こして問題を悪化させ、また、実際には入れなかったわけではない人にまで被害者意識を拡大していることにあります。

 

 以上をまとめると、待機児童問題の本質は、認可保育所と他の保育所との間の「不公平」、価格による需給調整メカニズム不在による継続的な供給「不足」、そして受入れ決定までの「不安」であり、この「不公平」「不足」「不安」全ての原因が認可保育所という仕組み自身にあるということになります。